2011年9月30日金曜日

北越離合

今日は朝の2号にT-18が入っていたので夕方来るな!と思っていました。金曜なんで能登もあり2本の特急色が写せるので美味しい時間帯にお使いのお出掛けを入れました。普段は下りが先なんですが今日は上り接近が入りました。その後に下り接近が入りもしかして並ぶか?と期待しましたがず~と先で離合が見えました。
残念。
普段は来迎寺駅から信濃川の間で交換します。
どちらにも特急色が入るのは珍しく普段は見ることが出来ません。
昔はボンネット以外であれば結構写せました。夕方6時。当時この時間帯も長期にわたりすれ違いを見ることが出来ましたが、ボンネット以外は余り興味も無く撮影対象には成っていませんでした。
前年までは両方の北越にボンネットが入っていました。
片方には上沼垂色の北越、もう片方にはクハ481112の入った編成が3日に一回の割で入りました。同じコマに写せる確立はかなり高かったと思います。
それと4月10日と9月10日の頃、6時過ぎに後ろに日が沈みます。これを狙って何度も通いましたがついに捕らえる事は出来ませんでした。
そろっと残りの仕事を片付けたいと思います。では

 上 NikonD700  80-200mm    下 97/4/26  NikonF4S 500mm

TR78

三軸台車のTR78、これが私の鉄道趣味の原点かもしれない。家の裏を信越本線が走っていて毎日蒸気機関車を見ていたからもともと鉄道は好きだったんだと思う。たまに三軸台車をはいたタキ50000などこようものなら岩塚駅まで走って見に行った。
大型のシキなど来たら大変であった。ようは車輪が多ければ凄いという世界で子供だったな~と思うが、今でもそんなに変わっていないのかな?
子どもの自分にはこのような貨車は趣味上一級の車両で特別なものであった。

蒸気を追い掛ける頃になるとそんな事はすっかり忘れて南に北にとカメラを片手に行きまくった。その後永遠に動いていると思っていたDL、ELが次から次に廃車の運命を辿るもんだから忙しくて台車まで気が回らない。
いつしかタキ50000も無くなり見る機会がすっかり無くなってしまったが、TR78をじっくり見る機会に恵まれた。
シキ550である。いまだに残っているとは奇跡のような気もするが、使い勝手がいいのかいまだに現役?で活躍しているようだ。この日はDD53の臨時鳥海も走っていたが、こちらも今日しかチャンスは無い。じっくり4×5判で形式写真を存分に写させていただいてから羽越路を北へと向かった。

藤寄で見て以来お目にかかっていないが、いつまでも元気に走り続けて貰いたいと願っている。

2007/4/15   NikonF5 24mm

2011年9月29日木曜日

白鳥

十楽寺の蕎麦畑を行く白鳥。この列車も無くなって10年経ちます。
岩塚辺りの蕎麦畑は真っ白い花の時期は終わり少し黒くなり実がついてきています。甘くて香りの良い蕎麦が今から楽しみです。

1997/9/25  NikonF4S

豊実の渡し舟

まだ新渡大橋が掛かる前は渡し舟が活躍していた。磐越西線沿いの阿賀野川には多くの渡し舟が有ったが私が見たのはこの豊実の渡し(菱形渡し)、小花地の渡しくらいだ。
丘の上でのんびり列車を待っていると、時々舟が行き来する。橋が無いから車も来ない。とても静かな時間が流れていた。




最近北井一夫さんの渡し舟という写真集を買った。古い本で当時の定価は7500円と高め。
図書館で何回か借りて見ているが手元に置きたいとオークションをさがした。
オークションにはたまに出るが意外と高い時とべらぼうに安い時が有り、安いのが出るのを待った。「村へ」等の有名な写真集はとても高く手が出ないが、これは1000円くらいで手に入り満足している。
鉄道の本も手がけているが列車の先頭に電柱が入っていたりとシャッターチャンスには当時の私には少々不満。最近見ようと思ってさがしたがどこにしまったのか?出てこない。
桐原書店の「ローカル線を行く」のたしか中国地方の物だったと思う。ファンの串パンとかの専門的な事は一般の人には関係なく、そのほかのシャッターチャンスの方が大事なんだと思う。
本の開いているところは津川~三川間の小花地の渡し。見えているコンクリートの柱は今も残っていますね。

上の写真は1984/6撮影

2011年9月28日水曜日

DD51757

磐西から客車がなくなり貨物のみDD牽引で残っていた98年頃。思えばまだ黒いタキもあり、過ぎて見れば良き時代だったと思う。
川吉のSカーブの後ろからの写真を一回写して見たくて登ってみた。人気の列車では画面に入るこの場所からはさすがに気が引けて写せない。雨の日で誰も来そうのない日に待ってみた。
1998/6/4撮影

2011年9月27日火曜日

北斗星

カシオペア迂回が終わりようやく晩酌できると楽しみにしていましたが、どういうわけか北斗星迂回が有ると告知が有りました。
では見物しなければという事で長岡まで出撃。
今日の到着は2番線。すでに10人くらいのファンが集いその時を待っています。
マークも無くて団臨のようですが貴重な64牽引ということでスナップしようと決めていきました。昨年の迂回には行きませんでしたからじっくり見るのは数年ぶりです。やはり食堂車が有る編成は寝台らしくて旅に行かないかとそそってくれます。トワイライトはアンティーク調のキャンドル、北斗星は少し近代的な感じでこちらも素敵です。
じっくり観察させてもらったその後、長い汽笛を残し北海道を目指して発車していきました。
帰って晩酌が寝酒に変わりましたが呑み始めたのが12時半でした。カメラのモニターを肴に…
NikonD700  50mm  14-24mm

2011年9月26日月曜日

DD51上野尻

初めての磐西ネタ。頻繁にこの路線に通い出したのは80年台後半。
それまではEF58がメインの私でしたので上越線辺りが定番撮影路線でした。
80年台頭にも何回かは行っていますがこの時は初期型のDD51が無くなるということで行きました。
少しあき、結婚した頃からひなびた路線に魅力を感じて足しげく通いました。歳がそうさせたのでしょうか?最近は余り行かなくなりましたが信越、上越線に続いて写した路線です。
沿線の景色、機関車共に満足できる魅力が満載の磐越西線。今でもかやぶきに被せた赤や青の屋根を見ると気持ちが和みます。
秋の今頃の写真を一枚。上野尻で写しました。
94/9/11撮影 NikonF4S  300mm

カシオペア騒ぎ

いつに成ったらネタ物から卒業するのか?まだまだ当分難しい私である。
体が動くうちは山にも登り素晴らしい景色を入れての撮影はやっていきたい。ということで今回のカシオペア騒ぎでは海バックの撮影に挑んできた。
友人が時間を知らせてくれたのでどこから写せるか?考えると村上が5時半頃と日の出の時間だ。毎回遅れてくるので笹川流れでもいけそうだな、と真島に決定。
直線が入る場所ということでここにしたが、10年以上行っていないし登る時は真っ暗。
懐中電灯持参で行ったが岩がゴロゴロの斜面は難儀でした。転びながらようやく5時頃到着。見ればすねに何箇所か血が出ている。闇夜の藪コギは怖いですね。
徐々に明けていく日本海は昨夜の満天の星空と共に綺麗でした。この大自然を共に満喫できる鉄という趣味はやめられないですなー。
遅れを期待してのカシオペアでしたが定時の通過でした。日の出15分前でも結構な明るさに満足。
不満の点は車が殆ど走っていないのに何で一緒に来るか?しかも4台。と考えながら暫く待つと9078レの銀ガマが通過。これも頂き下山。高速を使い2発目はどこで写すか?色々な人の情報で考えた結果湯沢高原の大俯瞰にしました。六日町から石打までの雲海が激V。
夜は長岡でバルブと久しぶりに一日中鉄で満喫。さすがに疲れました。



長岡ではEF81の停車位置が悪くまたしても64の編成は写せず。昨日は外から狙ったほうが良かったみたいです。

2011年9月25日日曜日

EF5871北陸

先ほど長岡にカシオペアの迂回を写しに行ってきた。珍しく3番線に入るということでこれは行かねばと出撃してきた次第だ。国鉄型の少ないご時勢で、このような迂回などが走ると私を含めて大勢の人が写したいと同じ行動をとるのでホームは大騒ぎである。
関東では人垣が二重、三重に成るのだそうな。田舎のファンには想像できない騒ぎだ。

撮影当時は北陸を引いてきたEF58が切り離され、金沢に向けて発車した後にカマは回送されていた。今日とほぼ同じ場所からの撮影である。今から31年前の夜の出来事。

PENTAX6×7  55mm   EPR   80/6/29  長岡駅 北陸金沢行き

2011年9月24日土曜日

特雪その3    96/2/5

前回の豪雪で不通と成った只見線を開通させるべく特雪が走ると友人が知らせてくれた。当日まで不通だったため鉄砲除雪するのでは?と教えてくれお~と期待しての出撃。
駆けつけるのが遅れてお昼に成ってしまい、特雪はすでに須原に到着。残念ながらハイモが入っており線路は埋まってはいなかった。
しかし過酷な仕業のためか昼休みを使い給油が行われていた。
まだ撮影経験の浅い自分であったためにどのくらいの時間で進むのか?分らずに上条の手前にて写して入広瀬の山で俯瞰しようと先に向かった。しかし山の上までは時間がかかり、着いてから暫く待ったが現れず。もう行ってしまったようだ。
仕事の時間が迫り大白川には行けず諦めて帰宅。
特雪の撮影はこんな痛い目を見ながら少しづつ知識を吸収し一人前になる(成った所でどうなるものでもないが…)

当時といってもそんな昔では無いのだが、この日は全く撮影者には会わなかった。その後全く見なかった日は皆無。次に少なかった日は只見最後の特雪の時で私も知らなかった。家でテレビを見ていると特雪が走っているぞ!と知らせが入りあわてて出撃。着いた時にはすでに大白川に到着していた。
2008年2月29日の事でしかもカマは333号機だった。自分のほかには地元のファン2~3人が見送る最後の特雪は末沢目指して発車していったのである。
上   八ッセル500CM    下NikonF4  共に須原にて

EF5811

今日は撮影に出ましたが余り満足の写真は写せず。それで昔のネタをアップ。
私が58の中で一番好きだったカマの写真を。このカマはフイルターの鎧戸改造以外はほぼ原型でした。窓下の手すりなし、大窓、梯子未改造など。
大窓時代の写真も何枚か写しましたが、最後はHゴムに改造されました。
昔は白Hが不評でしたが今は黒Hが不評。面白い時代です。

 NikonF2   1975/夏撮影 上野駅 八甲田

2011年9月23日金曜日

カシオペア回送 上越線迂回

昨晩メールが来た。カシオペア迂回有り。
まさか?ガセだろうと思い寝た。
朝6時過ぎに電話が鳴り、カシオペア桑川通過!
いやーたまげました。

思えば2000年から上りの迂回は走っていません。下りは昨年EF81で下りましたが。上りは実に11年ぶり。
最後の上りは川口にて余りに山が美しく、浅春の越後を後にするカシオペアを撮ろう!と少々芸術写真を意識して臨みましたが通過が近づくと山が薄く……結果はつまらない写真の出来上がりでした。当時は頻繁に迂回もありいつでも写せる、と思っていましたから後追いでも勿体無くなかったのでしょうかね?
昨年は家族運用で出掛ける予定だったのでまさかのカシオペア迂回にバルブしに行けない。
しかし、いてもたっても居られずに沿線に出没。何とか写せました。その後長岡駅に行った人に聞きましたが減光無し、即発車、人が多すぎて撮影は撃沈だったそうです。

今日の迂回は長岡まではEF81、カマ換えされてEF641051が引いて上りました。マークは有りませんでしたが銀色の長い客車を引いて先頭に立つ姿は凛々しくかっこ良かったです。今日の下りも迂回だそうで、EF641051が引いて上野を定時で出たそうです。


2011/9/23  NikonD700  80-200mm

2011年9月22日木曜日

EF81303

昨日から運用に入ったと聞いた銀ガマこと、303号機は台風の中9078レを引いて長岡に来ました。
1時間くらいの遅れでしたが美しい編成を引き連れて堂々の通過でした。
撮影地はどこもススキの藪。写す場所も高い草に覆われて接近無線が入っても足場が決まらず四苦八苦。
通過直前にセット完了、連写しましたが一番良い所は尻が切れました。無意識に右に振ったようです。
駄目もとで長岡に行くと宮内方にまだ待機していましたので早速撮影。
EH200-15、北越との並びを頂き倉に入る?ところを写そうと思い長岡方に移動し待ちました。そこではEF81406と遭遇。共に九州で働いた釜ですね。
最後は運輸区のどこに入るのか?と思っていたら最高の場所に入ってくれました。115系の訓練車との並びを写して帰宅しました。
今日の夕方は行けそうにないので次回の対面を楽しみにしています。


2011/9/22    NikonD700  80-200mm  24-70mm

特雪その2 96/1/30

前回の続きです。
無事に通過を見送り追撃開始。まずは定番大倉沢。
ここも最近は木が邪魔になり写しづらく成りました。最初の数回はここに行きましたが、最後の頃は余り立ち寄らなくなった撮影地です。
特雪撮影の楽しいところは何回も写せる、これに尽きます。まあ、車を止めるところがない、何回か行くと同じアングルの写真が量産される。など弊害もありますが。
分っていても天気が悪いとこのパターンが続く事に成ります。

柿の木に来ました。ここではかなりの降雪。私が写したこの先で投雪口に雪を詰まらせて止りました。
その時の写真を本で見ましたが凄い!やはりベテランは狙いどころが違うと痛感。
特雪撮影のイロハがわかってくる頃から、そんなシーンに遭遇出来ないか?と出撃のたびに目を光らせる日々が続きます。
入広瀬辺りから降る雪の激しさは目を見張るほどになり、大白川手前では真っ暗に成りながら降り続きます。
大白川到着を見て私も家路につきました。この先の運転は有ったのか?今と成ってはわかりません。
只見線は翌日から運休と成りました。

1996/1/30撮影 NikonF4

2011年9月21日水曜日

583回送

今日信越本線を回送された秋田の583系。廃車の為に長野工場に送られたようです。
国鉄からJRに移り20年以上走り続けてきた。仙台から同じ583系が転属して玉突きで廃車になったようである。
長編成で日夜走り続けてきた。月光でデビューしはつかり、はくつる、ひばり西では彗星、明星、なは、昼行では雷鳥などに使われた。
新潟では急行きたぐにで今も使われている。ふと見ると10両で走る電車は今ではこのほかは見ることが出来ず、長いなあーと感心する。一日も長く走り続けて貰いたいものだ。
下の写真ははつかり  1982/3/22 南福島にて    ASAHIPENTAX6×7 105mm

EF581

大阪駅で写した1号機。どんなカマでも1号機というものは写して得をした気分にしてくれる。
79年当時はまだ特急仕業も多くありバリバリの現役機でした。右に写っているDD51は福知山線の普通列車ですが、武田尾辺りに一回くらいは写しに行っておけば良かったと新線に切り替えになってから後悔しております。
九州に蒸気を写しに行った帰りに下関機関区でこのカマを写しましたが、フイルムを落としたのか?小窓の写真をコレクションに残すことが出来ませんでした。
1号機の思い出で記憶に残っているのは浜松町の駅で京浜東北を待っている時、高千穂、桜島を引く1号機が長い編成を引き終点東京を目指して飛ばしていく姿が永遠に忘れられません。
原型小窓、旧客編成。ああ、写したかった。

1979/1/2   大阪駅にて NikonF2  135mm

2011年9月20日火曜日

DD532

直江津の倉で写したDD532号機です。古い作りで両側はガラス張り?で明るく雰囲気があり一回写したいと思い、知り合いを通して許可を頂き撮影させてもらいました。夜も良い感じだったのでしょうが機会はありませんでした。
DD14はうなぎの寝床のような車庫に入りこちらにはDE10と入って居る事が多かったと思います。
DD53無き今、この倉には何が住んでいるのでしょうか?

2002/2/12  撮影 PENTAX645  45mm

雨の朝練

昨日失敗したくびき野を写しに塚山まで行ってきました。
雨模様で暗く、AFが照明を受けて迷わないか心配な明るさでしたが何とか成りました。後ろまでは綺麗に合いませんでしたが、面だけは止ってくれてホッとしてます。
普通の色だと綺麗に止っても特急色だと気合負けして失敗ばかり。修行が足りません。

続行の95レも同じく頂きその後長岡まで買出しに行ってきました。
これからは雨が降ると暗くうっとうしい日々が続きますが、暑さからは開放され体力の消耗も軽くなりそうです。
2011/9/20    NikonD700  80-200mm

2011年9月19日月曜日

EF81303

噂にまた九州から銀ガマが来るような話を聞いていましたが数日前に富山に回送されたと聞き、本当に応援に来たのかと嬉しく思いました。
今日の3097レで回送されると聞き、悪天候ではありましたが昼寝もそこそこに出撃。
セ0カさまより聞いたところではカマの後ろは空コキの様子。では後追いにていただこうと、岩塚の蕎麦畑まで出撃。通過ギリギリではありましたが無事にゲット。
情報有難うございました。
次回は走る姿を写したいと思います。その日が楽しみ!!!
長岡ターミナル停車が有るので先回りして押切にて2発目を頂き帰ってきました。おまけに湘南色のL-6も頂き満足の午後でした。

NikonD700  14-24mm  岩塚     下写真 NikonD700  80-200mm

DD16飯山線ラッセル

デジタルを導入し勇んで飯山線のラッセルを写しに行った2009年。この年は何回も夜の撮影に出掛けている。DD16最後の冬で、すでにENRが配備されていて不具合があり代走で走ったと記憶している。もう一冬、D700で楽しませてもらいたかった。

2010/1/2  白鳥にて ニコンD300 50mm

最後のボンネット特急はくたか

長年親しまれたボンネット車両の活躍も最後のH01編成が歩みを止めてついに終焉となったようだ。
151系から始まるこのスタイルは485系へと受け継がれて今におよぶ。
私とボンネットスタイルの付き合いは上越線を走ったときが最初の撮影かと思ったが、その前に信越線にてはくたかを撮影したのが最初と成る。
当時はまだ向日町の車両が使われていて丹精整った編成が懐かしい。マークの脇に穴が明いていて、ハンドルで回してマークを変える仕組みだった。赤いスカートが今思うと古臭いが少しかっこいい。
はくたかには98年ごろから入り始めて最盛期には3往復の臨時やら代走で活躍した。今冬もかなりの頻度で代走に入りファンを喜ばせてくれたのも記憶に新しい。
運用離脱の噂はあったがどうも信じられなく、いつまでも入ってくれるんではないか?とも思ったが2月27日の石打マルヨのはくたかが最後となった。
今は金沢に車体を休めているが、この先動くことはあるのだろうか?検査も切れていると思うので楽観視は出来ないが最悪でも保存という事を期待したい。

2010/12/9 撮影 ニコンD700 石打~大沢

2011年9月18日日曜日

特雪その1 只見線特雪撮影記

特雪撮影を語る上でこの写真をまずアップしないと先には進めない。
DD14の特雪は家の裏で何回も見ていたのだが、こと撮影と成ると余り積極的にはしていなかった。当時磐西のDD51 が撮影のメインと成っていた事で、特雪も興味はあったがどちらも全力投球と言うわけにはいかず、50系が無くなったらということで目をつぶっていた。
96年1月、ついにチャンスがやってきた。
まずはこの日特雪が走って通過するか?
薮神のアンダークロスで待っていて無事に通過。この時聞いた音が今も耳に残る。
この日の只見線は凄い降りに見舞われて特雪が走ったにもかかわらず翌日から不通となる。大白川まで追い掛けて写したが真っ暗に成りながら降り続く雪に、新潟暮らしの私もビビッた。
果たして家に帰れるのか???
と言うくらいの凄い降り。無事に家に帰れたときにはホッとした。

赤鬼の写真展をした島田直明さんもこの日の柿の木の投雪口の詰まりの写真を写して、写真展を開こうと思ったと聞いたことがある。それだけ凄い一日が最初の撮影だった事がはまらせるきっかけに成ったのか?
当日ビギナーの私はその手前で定番の場所で写していました。

これが私自身の狙って写した最初の特雪画像の気がする。この後只見には10年で40数回特雪に出撃する事に成る。

特雪への取り組みが一年遅かった事が災いし上越のDD533号機のカラーは残すことが出来ず残念な事をしたと今も後悔しています。

96年1/30 撮影 ニコンF4S

DD51五十島にて

この頃は一本線塗りのDD51初期車を写したくて、何回か磐越西線に行っている。朝出てこの時間について何本写せるのか?随分掛かっているのが、光線状態で分る。
長岡抜けるのに一苦労。三条もまたしかり。高速も無く、バイパスも無かった時代。どこも国道は延々と渋滞のご時勢であった。せめて早起きしてむかえば何本も写せたのに。今思えばもったいない撮影行である。
ここ五十島で27号機の貨物とこの普通列車を写して徳沢に向かっている。まだタブレットの時代、のんびりして良き時代であった。
1980年10月撮影 五十島~三川間 ニコンF2 50mm使用

EF81404

今朝写した404号機。更新色で出たとは聞いていたが写すのは初めてでした。
やはり全検出たてのカマは綺麗で美しい!富山伝統?の余り美しくない車体にじきに成るのだろうか?
九州仕様の更新色が見た目には余り原色と変わらず好きであったが、残念ながら富山仕様に変わってしまい残念だ。もうすぐ406号機も検査に入るとの噂があるので残り少ない機会を有効に使い写しまくりたいものだ。
改造される前の番号は131号機。信越線にて一回写しただけのカマであった。

2011年9月17日土曜日

EF58

70年代から写し始めた鉄道写真を公開していきたいと思います。 まずは石打駅の夜行列車、鳥海。これからEF16の補機をくっ付けて水上を目指します。
他には北陸、天の川、能登がEF58に引かれて続々通過。下りの夜行もあり、撮影に行くと一晩中走り回って朝を迎える事となるのです。